2018-
275
沈黙 -サイレンス-
2017年に見なかったやつ。
映画の話とは離れてしまうが、何で人は宗教に走るのだろうね?
自分は無宗教で、まぁ先祖のお墓もあるけど念仏も唱えないしこれといった死後の世界への理解もない。
宗教を信望する人にあるのは「極楽浄土」「理想郷」「Heaven」とかいった概念だけで、実世界での徳が来世やあの世につながると信じているようだが、誰も見ていない「あの世」を信じて「今目の前にある、信じるに値するこの世」での辛いことを受け止めるというのが、どうにも理解しがたい。
映画は、日本に派遣されたまま帰ってこなくなった宣教師(リーアム・ニーソン)が帰ってこなくて、しかも現地で棄教して日本人になったらしい・・・ということで本職の宣教師二人(アンドリューとアダム)が長崎に派遣されるんだけど、現地の弾圧っぷりを見てどうのこうの・・・・という話し。
「どうのこうの」をもうちょっと掘り下げると、リーアムを探しに行った二人なんだけど、日本に向かう道中立ち寄ったマカオに「キチジロー」と名乗る日本人がいて、こいつが日本へガイドしてくれる・・ということで長崎にたどり着く。
二人はリーアムを探すんだけど手掛かりがなく、隠れキリシタンと交流して教えを…とかやってるんだけど、目の前で次々と拷問されては殺されていく。
「踏み絵を」とかやってるんだけど、踏むだけでいいのに何をそんなにためらうんだろうかと思うよ。
「主は我々を苦しめるのですか!」とか思わないのかね?
苦しむためだけの宗教なんて信仰しない方がいいのがわからないのだろうか?
まぁ宗教なんてそんなもんか・・・。
で、結局この二人の宣教師はつかまるんだね。
アダムの方は拷問にあって殺されようとしている信者を助けようとして死んでしまうんだけど、アンドリューの方は拷問されたり監禁されたりしながら生き残る。
そうこうしているうちにリーアムと会うことになるんだけど、噂通りリーアムは棄教して仏教徒になって、しかも日本人の名前をもって日本人の妻をめとって暮らしていた。
命がけでやってきたアンドリューにしたら「WHY?」だわな?
リーアムが言うには「日本は沼だ、沼には何も根付かないし育たない」ということで布教を諦めて現地の宗教に鞍替えしたらしい。
気持ちが折れたアンドリューは心にイエス様をひた隠しながら仏教徒になって・・・・という話し。
冒頭でもふれたとおり、何が人々を信仰に走らせるのかは俺の頭では理解ができないのだけど、まぁ宗教というものはそういうものなのだろうな。
しかし、過去の歴史において宗教が役に立った例は・・・まぁどっかであるのだろうが、争いになった例しかないように思うのはどうなのだろうか?
現代においても宗教が原因で各地で争いが絶えないのは現実で、それは「テロ行為」がある宗教では正当化されているのもそうだ。
俺は映画評論家でもないし、無宗教・・・、むしろ宗教に対しては否定的な考え方を持っているので、なんとも納得のいかない内容の映画でした。
トレーラー
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